凡人も偉人も平等に歳を取ります。
この点については本当に何の違いもありません。
だけれど60歳の過ごし方は、おそらくウルトラ異なっているのでは無いでしょうか?
私のようにのほほ〜んと過ごそうとしている人と、そうでない人の違いを考えてみました。
目次
私が渋沢栄一という人を知ったのは、数年前東京の王子というところをプラプラ散歩していた時です。
晩年飛鳥山に住んだ渋沢栄一
王子には飛鳥山という大きな公園があります。江戸時代から庶民の憩いの場で、桜の名所とのこと、そこに「渋沢資料館」があり渋沢栄一の生涯について紹介されています。お恥ずかしい話、全く彼のことを知らずにその資料館に入り、こんな人がいたとは!と初めて知りました。明治維新後の近代社会を作り上げた人と言うと、イメージとしては政治家の方が頭に浮かびますが、実はこのような人が今の近代日本を作り上げたんだな、と改めて感動したわけです。民の基礎を作り上げた功労者と言えます。
渋沢栄一が考える60代
渋沢栄一は多くの名言を残しており、60代についてはこう語っています。
「60歳、70歳は働き盛り」
60歳目前に仕事を辞めて、ブログなんぞやっている私にとっては、誠に信じがたい発言です。実際に渋沢栄一の60代を見てみると
- 銀行設立に携わった
- 大学創立に携わった
- キーマンとして外遊
そのパワーは恐ろしいほどです。60代ですよ、しかも明治時代。
彼の中の何がそうさせていたのでしょうか?
彼は今の埼玉県深谷の農家の出身で(裕福ではあったようです)、最後の将軍慶喜に使えるチャンスを得て、その後政府で役人としても活躍し数々の功績を残す....どんな生き方をするとこうなるんだ??
残っている写真を見ても、普通のおじさんにしか見えません。
渋沢栄一の60歳を想像してみる
60歳は働き盛りと言い切る渋沢栄一はどんな60歳だったのか、謎ですから一人勝手に想像してみます。多くの方がいろいろな事を書かれていますが、私の想像の渋沢栄一はやはり柔軟性や応用力に長けていたのではないかと思います。
自身の哲学を強く持ちつつも、柔軟性を持って物事を進める事ができたからこそ、60歳でも多くの事業を立ち上げる事ができたに違いありません。老人頑固一点張りだけでは円滑に進まないはずです。
60歳、十分な知恵と経験則があっても全てがそれでカバー出来るわけではなく、瞬時に微調整をし応用力も駆使し物事を進めて行ったように推測します。
また頑固だけでは周りの人もついてきませんし、人を魅了する力が大きかったのではないかと思います。
それから何よりも「気力」の持続です。
50歳を過ぎたあたりから、情熱や気力の衰えをヒシヒシと感じ始めました。
おそらく渋沢栄一は天から与えられた不屈の魂の持ち主だったに違いありません。
渋沢栄一に学ぶ60歳からの人生シナリオ
彼は90歳で逝去という長寿の人生を送っています。
明治から昭和初期にかけて90歳の人生とは本当に長寿ですが、私はこんな想像もしてみました。
彼は物心ついた時から自分の人生のシナリオをすでに書いていて、それを実現するために止まる事なく突き進んでいたのでは?
彼にとっては終わりのない人生のシナリオだっのかも知れません。
21世紀の日本は人生100年と言われています。
控えめに90歳まで生きるとして
あと30年。されど30年。
今から残りの人生のシナリオ作りをしても遅くないかも知れません。
時間はたくさんありますから。