早期退職さてどう生きてく?

仕事しか知らなかったアラ還お一人様、家事やUR生活と少しずつ成長中。鎌倉を中心に「アラ還の散歩と遠足」の様子はYoutubeやTwitterでも発信してます。

姪っ子が30歳になったって。私はどんな30歳だったか、と思いにふける。

11月は姪っ子の誕生日月。

子供の頃は、博品館でリクエストのおもちゃを買って送ったものでしたが...

 

30歳になったと聞かされて

え”?

 

この間、地方から大学進学のために東京に住むようになり

最初は勝手にハラハラしていましたが

いつの間にか卒業し、就職し、今年30歳ですと。

 

(いつものセリフ)私が歳を取るはずです。

どうしたことか公務員になった彼女は

地方自治体のかなり田舎の役所機関に勤めているらしく

一度住所を聞いて、google mapで見てみたら

森の中?っぽかった....。

 

ものすごく小さい頃、「まるちゃん、まるちゃん」と懐いてくれて

帰る時には「帰らないで!」と号泣されたのに。

一家でディズニーリゾートに遊びにきた時には

「ホテルの部屋は広いからまるちゃんも泊まれるよ」

 

姪っ子というのは、会いたい時に会って

ご飯ご馳走して。という関係ですから

向こうからすると、大学生になると煙たがられて?会うことも少なくなり

社会人になって地方に戻りましたので

最近はどうしてるかな〜と時々思うぐらいです。

 

私も東京を離れたので、たまにホテルがわりにしてくれていたことも

今や無いので。

 

私自身が30歳の時のことを思い出してみると。

まぁなんとも、とんがった生意気な外資系の会社員でしたね。

でもこの会社が私の会社員としての基礎を作ってくれたので

今でもとても感謝しています。

 

ただ当時の外資系のガイジン社員というのは

あまり日本法人をリスペクトしていなくて

見下していたような気がします。

それは私が海外生活を経て、あまり時間が経ってなかったことに起因するかもしれません。

郷に入っては郷に従え、というのが海外生活で得た教訓だったのですが

当時の(というか当時勤めていた会社の)外国人社員は

本当に日本人社員を見下していたなぁ。

 

ただ景気は悪くなかったし

会社も元気があったので、全体的に上きな毎日でした。

インターネットも、スマホもメールもない時代で

個人の端末を使っていたのは

私ら情報システム部員だけ、そんな時代です。

 

今と比べると不便というよりアナログだったけど

突っ走っていることが良しとされて

それはそれで楽しかったのかもしれません。

 

そんなアラ還の思い出話で今日は締めたいと思います。