知っている人は知っている女流作家「吉屋信子」さんは、昭和に活躍した方で終の住処は鎌倉にありまして、現存しています。
その跡地は現在「記念館」になっており、その建物について講演を聞くことができました。
「吉屋信子記念館」には行ったことがあるのですが(年に数回の限定公開がある)
その建物については詳しく知らなかったのです。
実は吉田五十八という、とても有名な建築家が建てたのだそうです。
現物を見た後に、その建物について話を聞いたという...。なんとも私らしいですが、偶然?というわけではないですが、私が泊まったことのあるあのホテルも。
吉田五十六の設計だとか。
大阪のリーガロイヤルホテル、です。
知っていれば、もうちょっとちゃんと写真撮ったのに....。GOTOで行った関西旅行の時に泊まったホテルです。正規料金じゃ、ちょっと泊まれないなぁ。
そしてなんと。
大磯の吉田茂邸も。
この吉田五十六さん、太田胃散の創業者に生まれ
開成、東大の明晰な頭脳をお持ちの方のようです。
吉屋信子さんの住宅に3度、携わったということで
同世代の吉屋さんにも信頼されていたのでしょう。
吉屋信子の鎌倉の自宅は長谷という地区にあり
その敷地は本当に広大です。
今の一般的な民家の5、6倍はあるでしょうか?
(Google mapsより)
鎌倉の長谷にこんな広大な平屋をお持ちということは
かなりの流行作家だったんだとは思いますが
ちょっと羨ましいな、と思います。
私のやっかみはさておき。
今日の講演で、同世代の価値観のようなものがあり、良い作品としてこの家が建てられたのでは?という話をされていました。
家を建てた経験がないのでわかりませんが
「終の住処」の設計を吉田五十六に託したのも、信頼があったからこそ、でしょうかね。
吉屋信子邸を今度訪ねることがあれば
また違う見方が出来るかもしれません。