明月院と言うと、紫陽花寺とも言われ鎌倉でも人気のお寺です。
本当にアジサイは日本を代表する花なのでしょうか?
その前に、勿体ぶっての明月院の歴史について調査結果を。
残念ながら明月院の公式サイトが無いので
図書館で借りてきた「源平騒乱と鎌倉武士」と言う書物をから引用させてもらうと
北条時頼(五代目執権)建立の最明寺跡に、子・時宗が禅興寺を再建。現在は明月院のみが残る
平家との戦いの後、天下を得た源氏の権力が長く続かなかったのはご存知の通り。
その後、執権と言われた任につく北条氏が鎌倉を統治していくわけです。
それから時代が流れ、禅興寺が開山され明月院はその塔頭(大寺に添う小寺)として建立されたわけです。しかし禅興寺は明治初年に廃絶され、明月院のみ現在の形で残っていると言うことです(鎌倉公式観光ガイドより)。
それでは明月院が紫陽花寺となったのは、はて、いつからでしょう?
前置きが長くなりました。
そう、アジサイです。
アジサイ自体は古い書物にも取り上げられているので
存在自体は奈良時代とかそんな感じのようです。
と言うことは鎌倉幕府の時代にも存在はしていたことになります。
でも日本史に代表的な花としてアジサイは...出てこないですよね?
私が小石川後楽園に行った時、案内ボランティアの方から聞いたお話です。
アジサイとは日本が原産であるが(ガクアジサイ)、皆がイメージするアジサイは
品種改良されたもので、特に西洋アジサイと言われるものは日本のアジサイを海外で品種改良し逆輸入されたものなんだとか。
ガクアジサイとはこちらのタイプ。
こちらも鮮やかな色を見ると、おそらく歴史の中で交配された品種でしょう。
記憶が定かではありませんが、小石川後楽園で見たガクアジサイは
本当に白い、インパクトのないシンプルなアジサイでした。
私たちがアジサイというと
下記の写真のイメージですね。実際これは明月院のアジサイの写真です。
姫アジサイと言う品種で
かの牧野富太郎先生が名付け親とのこと。
勝手なイメージで
大昔からアジサイが咲き誇る寺院なんだろうと思い込んでいましたが
想像するに(あくまで私の)近代になり明月院の関係者が
綺麗なアジサイをたくさん咲かせよう、と思ったのが始まりでは無いかと。
6月の日本において育てやすかったのかもしれません。
最初はこじんまりと自生していたのかなぁ。
今となってはこれだけのアジサイを保つのは
大変な作業になっているとは思います。
つらつら書いてきましたが
機会があれば、明月院の方に聞いてみたいな、と思います。
私の想像が当たっているでしょうか?
そんな私の戯言はともかく
実際の美しいアジサイをご覧くださいませ。
紅葉の時期にはまた再訪したいと思います。
Walking in Kamakura - Hydrangeas in full bloom in Meigetsuin 紫陽花が満開の明月院
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