おうちで鎌倉を一緒に学びませんか?
鶴岡八幡宮まで続く参道は「若宮大路(わかみやおおじ)」と呼ばれ
800年の歴史を持ち海岸近くから2キロほど続いています。今でも残る参道の両脇に残る石垣は当時のものとのことで、そう思うと何か不思議を感じませんか?
そこそこ私も神社仏閣を訪れますが
ここまで綺麗に長く真っ直ぐな参道が八幡宮まで、800年ほぼ変わらずの姿を残していると言うのは、すごいなと思います。
鎌倉幕府のことを書いた「吾妻鏡」と言う本には、この若宮大路についての件があり、妻の北条政子の懐妊を気に、この道を作るため自ら陣頭指揮を取ったとのこと。
下記は鶴岡八幡宮の公式サイトからの引用なのですが、非常に簡単に言うと
鎌倉幕府を建てた頼朝のご先祖様が氏神様としてお祀りしたのが始まりで、その後頼朝が八幡宮として現在の姿とし、今も残る若宮大路を建設したと言う歴史の流れなのであります。
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まり(中略)
源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心とした(鶴岡八幡宮ホームページより)
個人的に非常に不思議なのは
源氏が滅び、近代を経ても尚、鶴岡八幡宮は800年鎌倉の地に鎮座していると言うこと。
皆さんもご存知の通り、鎌倉幕府というのは短命でした。
それなのになぜ?
鶴岡八幡宮の公式サイトによるとその理由は
当宮(鶴岡八幡宮)は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。
神社信仰というのは、時代の権力者を超えたものなのでしょうか?
お正月になんとなく神社に行くという私たちは(そうじゃない人もいると思いますけど)
信仰というより習性っぽいのですが
それが続いているということも、この800年の歴史が繋がれている理由でもあるのでしょうか。
そんな800年の歴史を思いはせながら
この動画をご覧いただくと少し違う思いを抱いていただけるかも、しれません。
National important cultural property: Tsuruoka Hachimangu 鶴岡八幡宮 in Rainy season
2020 July Tsuruoka Hachmangu visit 鶴岡八幡宮月例訪問
ブラタモリ的考察?をすると
鎌倉の地形の全体と鶴岡八幡宮の位置を見ると
山の際に八幡宮があり
それは四方山に囲まれていますが、参道は真っ直ぐと
海に続いています。そこは平野になっています。
守りやすく攻めにくい地形と言われているようです。
幕府の後は石碑ぐらいのようですが
そちらもいつか出かけてみたいと思います。
今日はこの辺で。
参考サイト