最近はもっぱらRadikoでラジオを聴きながら、何かをやっているというアラ還の私です。
早期退職して、会社に行くこともない私にとって、ラジオはかなり新鮮です。
その中でとあるタレントさんが言っていた言葉に大きく頷きました。
日本の場合は平時の時に、総理大臣が変わってもさほど違いがないのでは?
なるほど。
日本の総理大臣は平時の政局をそつなく司ることには長けている、というようなこともコメントしていました。
求めるリーダー像と本当に必要なリーダー像との違い
随分前ですが、会社員時代受けた管理職研修を思い出します。
性格分析を行い、どのようなリーダーになるべきか?そのためには自分がどう変わるべきか?
そんな内容でした。
その時に説明された理想のリーダー像というのが
・皆の意見を汲み取る
・思慮深く行動する
・自分の意見は前面に打ち出さない
ちょっと違和感があったので、自分でもリーダーシップに関する本などを少々かじってみました。トレンドとしては、強いリーダーシップを示すより「平和主義」型にシフトしているような感じでした。
先週、たまたま「吉田茂」のドラマを再放送していましたが、吉田茂は激動の時代が生みだしたスーパーパワフルなリーダーのように思います。
今、あのようなタイプの人が総理大臣につくことは色々な意味で難しいでしょうね。
人々は当たり障りのないリーダーを求めるのに、何か起こると自分たちの選択に満足できなくなる(平和主義尊重リーダーに文句を言いたくなる)、そんなジレンマに日本人は陥っている気がしました。
能力が低いというよりも。
完璧な人というのはこの世に存在しません。
総理大臣だって大統領だって魔法使いではありませんし、体は一つしかありません。
トップが全てをやれるわけがありません。
したがって、それを補完する仕組みが必要なんだと思います。
有事の時にその仕組みを柔軟に作り、実行していく機動力。
私は教育の専門家ではありませんが、公立校の教育は独創性や創造性を伸ばすようなことを重視しているように思えません。
人と違うことをやると、大体先生に注意されましたので、昭和の時代だと。
自調自考
千葉県に渋谷幕張高校という有名な私立の中高一貫校があります。
私立でも全国的に有数の進学校です。
この学校の卒業生でお医者さんをしている人の動画に打ち当たり、その破天荒さが面白くて時々見ています。
この「自調自考」というのはこの高校の校訓なのだそうです。
自らの手で調べ、自らの頭で考えるという”調と考”が建学の精神
素晴らしい。
あくまでアラ還の私の印象ですが、日本の公立校の教育はとある平均的な「型」があり、その型にはめることが(ハマること)良しとされ、一人ひとりの考えや個性や得意分野を伸ばす、という思想に成り立っていないと思います。
私1人がこんなところで吠えても仕方がないことですけどね。
何かが変わっていかないと、何も変わらないような気がして。
例えば、帰国子女の政治家が現れて、劇的に何かを変える、という予想はどうでしょう?
そういえば小池さんは海外で学生生活を過ごされたとか。
ただ日本の場合、出る杭は抜かれる(打たれるを通り越して)ことが多々としてありますのでね。
それに全てのことに正解はありません。
数学ではないので。